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長谷川忍さんの詩「ビヤホールで」について



◎ 日本ウェブ詩人会のお勧めの詩(2) ◎


僕も参加している詩のページ『日本ウェブ詩人会』 https://poet.jp/ は、言葉の畑のように魅力ある場になってゆく予感です。 時々、個人的に印象に残った詩を、皆様にご紹介します。


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長谷川忍さんの詩「 ビアホールで 」について

               服部 剛 


このコラムを書いている今日の日中、僕はある美術館に展示されていた俳人・与謝蕪村の絵を観ていました。その絵の中で頬を赤らめ、へなりと地べたに坐る詩人・李白の両脇を、これまた頬の赤い笑顔の二人が支えているようです。


漢詩にはお酒を飲む場面を語る作品も多く、それは友であれ、男と女であれ、共に過ごすかけがえのないひと時を歓び、分かち合いたい――。というのが、いつに時代も変わらない人の願いだからではないでしょうか。また、飲みすぎない程度なら疲れた心身を温め、癒す面もあるでしょう。


酒というものは飲まなければいけないものでもなく、お茶や珈琲でも語らうことはできます。それでも「なぜ人は酒を飲むのか?」と考えるなら、僕は<きっと誰もがひと時の夢を見たいのでは・・>と思うわけです。


長谷川忍さんの「ビヤホールで」を読むと、日常と異界のあわいが垣間見えるような不思議な味わいの世界へと一杯の酒に誘(いざな)われ、想いを巡らせたくなります。


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ビアホールで

      長谷川忍 

好みの飲み物を手に
男たちが雑談をしている
もう熟年を過ぎた男たちだ。

初夏の西陽が
窓から眩しく降りそそぐ。

郊外の駅からほど近い
瀟洒なビアホール
男たちは談笑しつつ
ビールや
ウイスキーを口にする。

男たちの声は聞こえない
店員も、彼らに気づかない。

夕刻を過ぎた頃
男のひとりが
ふと皆に目配せをする
ゆっくり頷き合う
悪戯っぽく。

やがて、男たちは
本当に見えなくなる。

仕事帰りの勤め人たちが
ビアホールのドアを開ける
それぞれの飲み物を注文し
一日の疲れを
ほのかな酔いに任せる

ほら、そこは
さっきまで
男たちが座っていた席だ。






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服部剛のGOGOジャイアンツ1-白熱の巨人・阪神2000試合目!-



皆様こんばんは。わたくし巨人ファン歴37年の服部剛(ごう)が本日の試合の肝をふり返る野球談義の1回目。巨人ファンでない方もおゆるしを(^^)

いやぁ・・本日の伝統の1戦巨人・阪神は、戦前から数えて2000試合目に相応しい白熱の試合でした。

試合中盤の新外国人スモークはメジャーリーグで196本のホームランを打っただけあり、どかんと逆転3ランホームラン!

実はその前の回の守りでレフトのウィーラーが阪神の新人にして4番打者の佐藤の外野フライをひたすら走って、走って飛びこんで捕った!ファインプレーも巨人に試合の流れを引き寄せたわけです。

そして最終回の阪神の攻撃、この攻防はすごかった! ベンチの原監督の表情はいつも以上に真剣そのもの。 1アウトごとにピッチャー交代で緊張感も増してゆき・・。

ここで光ったのがベテランキャッチャー炭谷の配給。ランナー満塁、バッターは好調の糸原、2ボール2ストライク、ピッチャー左横投げの大江の投げた球は左バッターの糸原の体寄りから内角ぎりぎりストライクに曲がる変化球で見事三振!その瞬間、炭谷も思わず

「狙い通り」

と言わんばかりにガッツポーズ。 キャッチャーのガッツポーズはあまり見られないので、それだけ熱い場面だったのです。 この糸原を抑えなければどうなっていたでしょう💦

次のバッター・マルテでピッチャーは野上に交代。ここも1球1球凝縮した炭谷の配給通りに野上は丹念に投げ、内野ゴロで試合終了。

もし今年も巨人が優勝できたら「あの試合を勝っておいて良かった」というポイントになりそうな、手に汗握る首位攻防戦でありました(^^)






こしごえさんの詩「 いのちは 」について



◎ 日本ウェブ詩人会のお勧めの詩(1)◎

先月新たに開設した『日本ウェブ詩人会』は、言葉の畑のように魅力ある場になってゆく予感です。 月に1度、個人的に印象に残った詩を、皆様にご紹介します。

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ふだん私たちは自分の「いのち」について意識していないと思います。しかし詩人のこしごえさんには、日常と同時進行するように、無意識下で受けとる「もう一つの目と耳」があるようです。詩人は日々の風景や動植物から「いのちの声」を聴き、自分のいのちが、生きとし生けるもののいのちと密かに繋がっていることを、そっと詩で語ります。

――コロナ禍の今、個人も社会も、このような人間本来の霊性(スピリチュアリティ)へと回帰してゆくことが、問われている気がします。

  ・・・・・

いのちは 
          こしごえ 


深くて静かな宙を一羽の鳥は行く
深くて静かな宙の深い静けさを私は感じる
私は気付き言い思う

たましいという いのちは、
山を形作る石の石としての役目であり
手紙入れに眠っているあの人の涙であり
海の浅瀬で会話をする貝同士のことばであり
道端の草のそよぐ歌であり
……

「いのちは 欠けているから求めるのだ。私の鬼とコスモスは深く静か」

さまざまな私達に それぞれの たましいという いのちはあり
さまざまな私達はおのおのに死を含みながら回り回ってつながっている
大きなひとつの いのちである

あなたのいのちへ ありがとう

  ・・・・・

※ 日本ウェブ詩人会 : https://poet.jp/ は、詩の投稿の他、読者としての参加も歓迎です。 会員登録は簡単です。 もしあなたも御縁があれば、言葉の畑をじっくり共に耕しませんか? 心からお待ちしています(^^)






読書日記 「春」 津村信夫



「春」 津村信夫より。

一面に
気ぜはしく 椿の花が落ちてゐた

風が吹いてゐて 空は真青(まっさお)
もう ずっと以前から
梢で 季節を予知してゐたらしい
そんな姿勢の木があった

「詩人! 戯(たはむ)れにお前を
詩人と呼んでおいてもよい」
私はさう呟いて
汗をぬぐって 又歩き出した 


     ・・・・・


津村信夫(1909~1944)は、堀辰雄や三好達治が主宰の詩誌『四季』で、立原道造と共に、当時主要メンバーの抒情詩人でしたが、35歳の若さで病逝しました。


上記の詩の中で津村はふと立ち止まり、見つめた木の姿が詩人の姿に重なって視えます。それは、目に見える風景に〝見えないもの〟が同時に宿っていることをも語っています。風景の中に置かれた「静物」は沈黙の内に、何かを語っているのかもしれません。






今日の詩(152)「鈴の音」 



今日は先日に続き、昭和11年の詩誌「四季」に掲載の、萩原朔太郎の雑感を読みました。要約すると「詩人はパッション(熱情)を持ち、詩を書くこと」の大切さを語り、四季派の詩人には「熱情と気品のある詩」を、朔太郎は求めています。


読んだ後に「現状に満足せず、己の詩作を探究したい・・」という思いが湧きました。 今日の詩(152)は、昨日見た風景を描いたばかりの、新作をお届けします。


鈴の音

    服部 剛 

川の向こう側にある
瓦屋根の
民家の壁に、ひとつ
白いマークがありました

それは鈴の姿をしており
風が吹くと
小さな余白の中から
音のない音が聴こえます

 ちりりん ちりりん 

十人十色の人々が
主役・悪役・脇役を演じる、この街で 
〝風の合図〟は吹き過ぎて

今日もそっと
白い鈴は鳴り出だす






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